豪雪

雨水(うすい)だが、まだまだ霜柱が立つ。それにしても、東日本の豪雪は孤立集落をいくつもつくり、近年ないものだった。

昔、一度だけ見た映画を思い出した。タイトルも忘れた。

時代設定は、江戸か明治だと思う。

ある田舎の百姓の娘が、峠を越えた村に嫁ぐことになった。支度を整えて親や親戚が徒歩で峠越えをしようとする。その時期には珍しい豪雪で、予定通りには進まない。峠付近の民家に宿を頼むことになるのだが、雪が深すぎて身動きが取れない。何日もその家で厄介になる。十日とかそんな単位だ。

結局、その厄介になった家に花嫁は嫁いでしまうという話である。峠の向こうの家は、いつまでたっても嫁は来ず、挙句の果てに話はなかったことになってします。「はあ?」という気持ちになるだろう。

何が伝えたいのかよくわからない映画だったが、今でも覚えていることをみると、通信員の心に何かを残しているのだろう。

旧睦月廿日 晴れ


『土佐日記』当日分。
二十日。昨日のやうなれば舟出さず、みな人々うれへ歎く。苦しく心もとなければ、ただ日の經ぬる數を、今日いくか、二十日三十日とかぞふれば、指もそこなはれぬべし。いとわびし。寐も寢ず、二十日の月出でにけり。山の端もなくて、海の中よりぞ出でくる。斯様なるを見てや、むかし安倍仲麻呂といひける人は、もろこしに渡りて、歸り來たる時に、舟に乘るべき所にて、かの國人、馬のはなむけし、わかれ惜しみて、彼所の唐歌つくりなどしける。あかずやありけむ、二十日の夜の月出づるまでぞありける。その月は海よりぞ出でける。これを見てぞ、仲麻呂のぬし、「我が國はかゝる歌をなむ、神代より神もよむたび、今は上中下の人も、かやうに別れをおしみ、よろこびもあり悲しみもある時には、詠む」とてよめりける歌、

 あをうなばらふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも

とぞ詠めりける。かの國人、聞き知るまじう思ほえたれども、ことの、男文字にさまを書き出して、こゝの詞傳へたる人に、いひ知らせければ、こゝろをや聞き得たりけむ、いと思ひの外になむ愛でける。唐土とこの國とは、こと異なるものなれど、月の影は同じ事なるべければ、人の心も同じことにやあらむ。さて今、そのかみを思ひやりて、或人のよめる歌、

 都にてやまのはに見し月なれどなみより出でてなみにこそ入れ

昨日と同じような天気なので出航しない。みんな悲しくてため息をつく。苦しくてイライラするばかりで、時がいたずらに過ぎていくのを、今日で何日、今日で二十日、三十日と数えると、指もどうにかなってしまいそうである。とても悲しくやりきれない。夜も眠れない。二十日の夜の月が出た。山際などないから、月は海から出てくる。このような状況を見たからであろうか、昔、阿倍仲麻呂という名の人が唐に渡って帰ってくるときに、船に乗ることになっている場所で、向こうの国の人が餞別をしてくれた。別れを惜しんで、その国の漢詩などを作った。名残惜しかったのであろう。二十日の夜の月が出るまでいた。そのときの月は海から出た。この様子を見て、仲麻呂公が「わが国では、このような歌を神話時代の神様もお詠みになりました。今は身分の上の方も、中流の人も、下層の者も、このように別れを惜しんだり、喜んでいるときも、悲しんでいるときにも歌を詠むのです」と言って、

 青い海原の遥か遠くを見てみると、月が出ている。あの月は、故郷の三笠山から出た月と同じなのだなあ

と詠った。
向こうの国の人は、聞いて内容がわからないと思えたが、この歌の内容を漢字で書いて、こちらの国の言葉を通訳してくれる人に言って知らせるようにしたら、意味が理解できたようだ。思った以上に、とても誉めてくれた。唐とわが国では言葉が違うけれども、月影は同じであるはずだから、人の心も同じなのであろう。
ところで、その上代の昔を思って、ある人がこの歌を詠んだ。


 都では山際に見た月であるが、ここでは波から出て波に落ちて入っていくことだ

小倉百人一首は、「あまのはら ふりさけみれば……」だった。たしか。

二十日の月は、かなり夜が更けないと出てこない。本当に名残惜しかったのであろう。
夜11時ごろの月

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