休肝日連続記録途切れる

四日続いた。父の休肝日である。四日間は、近年にない記録である。アルコールを断っている間、体の調子がよかったのか。

残念ながら、本日は祖父の従兄弟宅で法事があり、少し飲んだらしい。しかし、今年は年間十日以上の休肝日が望めるかもしれない。

夕食には牡丹餅(ぼたもち)を作ろうと、餅米(もちごめ)を炊いた。

うまく餡子(あんこ)が塗れず、ぐちゃぐちゃになってしまった。餡子と餅米が混沌とするまま、茶碗に入れて食べてもらった。砂糖とごく少量の塩を混ぜたきな粉も、餅米にまぶして食べた。

旧如月十六日 晴れ時々曇り

望月を明日に控えた月。
日没後の東の空


以前裏側しか写していなかったクリスマスローズの花の表側。
画像



『土佐日記』当日分。前半のみ。
十六日。今日のようさつ方、京へのぼる序に見れば、山崎の小櫃の繪も、まがりのおほちの形もかはらざりけり。賣り人の心をぞ知らぬとぞいふなる。かくて京へ行くに、島坂にて、人あるじしたり。必ずしもあるまじきわざなり。立ちて行きし時よりは、歸る時ぞ人はとかくありける。これにもかへりごとす。夜になして、京には入らむと思へば、急ぎしもせぬ程に、月いでぬ。桂河月の明きにぞわたる。人々のいはく、「この河飛鳥河にあらねば、淵瀬さらに變らざりけり」といひて、ある人のよめる歌、

 久方の月におひたるかつら河そこなる影もかはらざりけり

又ある人のいへる、

 天ぐもの遙かなりつるかつら河そでをひでても渡りぬるかな

又ある人よめり、

 かつら河わがこゝろにも通はねどおなじ深さに流るべらなり

京のうれしきあまりに、歌もあまりぞ多かる。

今日の夕方、都へ上るついでに見ると、山崎の小櫃(こひつ)の絵も、まがりの大路の形も変わっていない。売り子の心は変わっているかどうかは分からないと言う者がある。このようにして都に向かうと、島坂で、ある人がもてなしてくれた。どこでもこのように歓待してくれるわけではない。旅立っていく時よりも、帰ってくるときの方が良くしてくれる傾向はある。ここでもお礼の品を与える。夜になってから都に入ろうと思うので急がなかった。そのうちに月が出た。桂川を月明かりで渡った。人々は、「この川は飛鳥川ではないから、淵や瀬の形が変わらない」と言って、ある人が詠んだ。

 月に生えている桂川の底に映っている月の影も、なんら変わらずにあることですね

また、ある人が言うには、

 天空の雲のように遠くにあると思っていた桂川が、袖を濡らしてまで渡るほど近くにありますよ

また、ある人が詠んだ。

 桂川が私の心の中に流れ込んでいるということはないけれど、私が都へ帰る喜びの気持の深さと同じ深さに川も流れています

都へ帰れる喜びで、歌もたくさん出てくる。

「山崎の小櫃の繪」は、山崎にある茶店かなんかの子櫃の描かれた看板か。

「まがりのおほちの形」は「曲がりのおほぢの形」とする本もあり、そうならば「曲がっている大きな道の形」と解釈できる。

これとは別の話だが、「まがり」というお菓子があったようだ。「環」の漢字の「王」の代わりに「米」を書く漢字がある。この字と「餅」を並べて「まがり」と読んでいた。小麦粉を揚げたもので、ドーナツのようなものではなかったか。まっすぐの棒ではなく曲がっていたのかもしれない。そのため「まがり」というのかも知れない。

茶店で売られている名物の「まがり」も変わっていない、と考えることもできる。

「飛鳥川」は大和川の支流。奈良県を流れている。明日香村や橿原市などを通っている。上流部は棚田の間を流れ、急流である。昔は流れが変わりやすかったようだ。そのため「変化する」ときのたとえとして使われた。

『古今和歌集』巻第十八 雑歌下 題知らず

 世の中は なにか常なる あすか川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる

                           詠み人知らず

 世の中に永遠不変のものなどあるのだろうか。いや、ない。飛鳥川の昨日淵だった所も、今日には瀬になっている

あすか川は「飛鳥川」だが「明日香川」と表記されることも。また「昨日」「今日」と組み合わさって「明日」という意味も含ませている。掛詞としても働いているのではないか。

日記の「この河飛鳥河にあらねば、淵瀬さらに變らざりけり」は、この歌が意識されている。

『土佐日記』は最終日なのだが、ご勘弁願って、後半は明日にする。


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